第47期 2005年1月号

茅ヶ崎方式英語会 本 校 会 報

 松井さんは、日本文化を紹介するため、9月にカナダへお出かけになりました。 これまでの活動状況を紹介します。なおHPで最新の情報(約2週間で更新)を知ることがでます。   http://home.att.ne.jp/red/matsui/ 「松井のカナダ便り」

カナダでのボランティア活動

(2004年11月〜12月)

C2 会員 松井和弘

同僚教師の自家用機で空中散策
 2004年10月30日、同僚教師Jackに誘われ彼の自家用機でNechako Valleyの上空を飛んだ。58歳の数学教師で奥さんも教師である。学校から徒歩5分の所に自宅がある。若い頃オーストラリアに住んでいた。庭園や趣味の工作場を含めれば1000坪はあり日本流では大邸宅かもしれぬが、豪勢な生活を送っている訳でもなさそうだ。3人の息子達は学生で内2人は当Secondaryに在学中である。
 飛行当日は暖かな一日であった。昨夜の雨はどこに消えたか信じられぬ程の快晴となった。車で10分程のところに飛行場はあるが、広大なprairieの中で吹流しや旗なしでは分からぬほど小さく見えた。格納庫といっても雨除け程度で扉がある訳でもない。小型機が10機並んでいた。1マイルの滑走路が3本ある。第2次大戦中、日本軍に備えて造られた。この地区に3か所あるそうだ。1万人の町に飛行場とは全くの驚きだが、「日本のお陰で出来た。Thank you very much」とジョークを飛ばされた。私にはいく分皮肉に聞こえたが。
 100馬力のセスナで4時間は飛べる。離陸後、高度500mで水平飛行、放牧の牛馬が寒さで全く動かぬように見えた。Nechako Riverに沿って西へ向かいFraser Lake上空で進路を北に変えた。冠雪の山並みを低空で抜けてStuart Lakeの上空にでた。陽光を浴びて山の稜線が実に鮮やかで美しい。壮大な穀倉地帯と大牧場を眼下に見ながら1時間半後に帰着した。
 往復に使った車は30年前に買ったという中型トラック、屋敷内のヴァンはドアーが腐食し目下作業場で修理中。ガレージ内にはもう1台あった。結婚当初買ったそうでFord Garlaxy Convertible1963だ。プレートにはCollectorの登録表示があった。「乗せてくれ」と頼んだら夏しか走らせないと言う。経費のかかりそうな趣味である。

教師の年収と暮らし振り
 公立の教師の所得は年7万ドルが上限で、所得税を引かれると実質5万ドル以下のようだ。奥さんの分を加えても10万ドルにはならないだろう。肉野菜は半値以下、ハイウェイは無料、燃料費や電気料も半分程度、情報はインターネット依存で新聞を読んでいる姿は殆ど見かけない。通勤は10分程度で、余暇は屋根ふきやペンキ塗り。こんな生活なので生活費は安いに違いない。
 雪と氷が苦にならず、文化隔絶が気にならねばこれ程良い生活はないかも知れぬ。不動産屋の中古物件を見ても20万ドル以上の物件は殆ど皆無。土地1000u、床200u以上の家ばかりである。国土の90%は国有地だそうだが、土地の価値が全く低い国へ来ると、リッチ度を何で評価すべきかいささか戸惑いを感じてしまう。

カナダの交通事情…列車に乗る時は「線路わきで手を振れ!」
 10センチ以上の根雪となり早朝はマイナス10度、昼間も零下の季節となった。これでも暖冬だそうだ。当地で戸惑うことの一つに連休がある。11月11日はRemembrance Day 言うなれば戦没者記念の祝日である。翌日も振替で連休だと言うがちょっと出かけるに適当な所がなくて困った。車なしでは身動きがとれず、レンタカーを借りようかと思っているうちに同僚がスリップ事故を起こした。実際に事故現場を見てその気をなくした。
 鉄道があって西は太平洋岸の港Prince Rupertに、東はCalgaryを通りOttawa等へ繋がっている。しかし客車は予約客を乗せて走るだけで、通常は週一回程度。駅舎もホームもない。電話で空席があれば予約し、通過予定時間に線路際で手を振れという。太平洋岸の港町Prince Rupertが終着駅で滞在中1度は乗ってみたいと思うのだが 乗りそびれたらどうなるか、帰り便はどうかなど考えると、中々踏ん切りがつかない。それに毎週一便程度では話にならない。
 バスが便利だと言うので調べてみると、最寄りのPrince Georgeまで朝5時発と夜8時発の2便のみである。すべてはPrivate Carで移動することが前提の交通体系なのだ。

不思議なめぐり合い…局長の愛娘はわが故郷・浜松で英語の教師
 1か月前、郵便局で局長らしい紳士から声をかけられた。27歳の娘が日本に滞在中と言う。どこの町かとたずねると、わが故郷・浜松なのだ。独身で既に丸4年間英語を教えているという。何という偶然だろう。私が今勤務している学校の卒業生で、しかも日本人が一人もいないこの町の娘さんが浜松で教師を勤め、彼女の母校に私がいるとは。真に信じがたい縁である。これまで2回ディナーに招かれ急速に親交が進んだ。また一つ新たな景色が見えてきた。

初対面の元・教師と2000キロのドライブ
 しばらくして彼からドライブの打診を受けた。夫妻と一緒かと思ったらそうではなく、彼の友達と行けと言う。35年間学校の教師を勤めた後、運転手になったという。Albertaの農業博を見て、CalgaryやBanffに立寄りJasper経由で帰るルートで、2000キロ3泊のドライブである。
 Prince GeorgeからEdmonton, Red Deer, Calgary, Jasperとカナディアンロッキー一周の大ドライブで、300馬力ディーゼルの大型ヴァンは彼が終始運転した。2日間の展示会でカナダの大規模農業を実感し、夜はロデオCanadian Finalを見物した。雲一つない快晴が2日間も続きロッキーの素晴らしい景観にも魅了されたが、何よりも道中の会話が面白く楽しかった。
 彼は61歳で、一男二女が独立し奥さんと悠々自適である。3万5千ドルの年金があり子供達からの送金もあるので生活は十分である。海外旅行も毎年のようにしている。だが週6日間大型トレーラーに乗り牧草を注文先へ届ける。時にはビジネスもこなす。仕事の合間には至る所にいる教え子達を訪ね相談にのっている。元看護婦の奥さんも前歴を生かしたパートをしている。素晴らしい師弟関係、夫婦共々素晴らしいシニアーの生き方だと感心した。
 教育とは何か、何が教えられるのかと毎日自問しながらカナダの若い学生達と向き合っている。昨今は近隣小学校やインディアン特別保護区(First Nations Reserveと言う)も訪ね、またカソリックの夜間親子教室にも招かれて 国際社会における挨拶の重要性等、私の経験談をかみ砕いて話している。かなり熱心に耳を傾けてくれているようだ。子供達をいかんに理解し的確なアドバイスを与え続けるか、それが教育の基本ではないかと思う昨今である。シニアーの背中を観て若い世代が育ち燃える、よし寒さに負けずにがんばろう。

カナダの広大さ…人口8万人の町は large town、100km? not so far
 Vancouverから北へ1時間飛んだ所にBritish Columbia(B.C.州)の北の中心都市Prince Georgeがある。ここから車で1時間、西100kmにVander hoofがある。地図では見つからぬ程小さい。北緯54度、西経124度に位置している。B.C.州はケベックに次いで広く日本の2.5倍もある。人口は380万人(カナダ全体の面積は日本の27倍で人口は4分の1)。
 国土や人口密度が大きく違うので、日常会話の表現で形容詞の使い方が問題である。Prince Georgeの人口は8万人(広域10万人)でlarge Townということになり、Vander hoofまでは100kmもあるがnot so farということになる。
 当地で親しい友人が出来て時折食事やコーヒーに招かれる。先日トラックで知り合ったRon Embreeに招かれ昼に彼の家を訪問した。直ぐ近くでNechako Riverの向う岸だと言うので散歩がてらに行こうと思っていたら迎えに来ると言う。送迎付きでご馳走になるのは気が引けたが有難く応じる事にした。あとでわかったのだが、1日中歩いても探せないと思った。南面に川を見下ろす景勝地だ。付近は1戸当り3エーカー(3600坪)あるという。わが家の70倍である。これがnot so bigという表現になる。4時には日が暮れる。人通りもない道で表札を見ながら探し歩いたらどうなるだろうか。迷い込んだら間違いなく凍死する。

塾、予備校は皆無
 わがNechako Valley Secondary Schoolは5年制中学で広域学区である。市内通学者は半数でその他は郊外からのスクールバス通学である。午後3時20分の終業ベルで一斉に乗場に集合する。乗遅れれば家族が迎えに来るか便乗しかない。放課後のクラブ活動は中々難しそうだ。塾や予備校など皆無である。

クリスマス…12月に入ると気もソゾロ
 学校は今日から2週間のクリスマス休暇である。9月末初登校以来3か月が過ぎたが 無事精勤出来てほっとしている。極寒の地ではあるが、良き友人達にも恵まれ楽しい経験も出来て心を癒されている。
 月初めから色とりどりのデコレーションライトが屋敷の内外に飾られて日々ムードが盛り上がっている。この1週間はパーティー続きで先生も生徒達もウキウキし勉強には身が入らぬようであった。これからはホームパーティに移行し26日のBoxing Dayまで続くのであろう。夜はコンサートやダンスパーティー、昼は教室毎にごと趣向を凝らしたパーティーだ。カードの交換、プレゼントの交換、持ち寄った手製ケーキと教室内で作ったスナックで終日パーティーも同然であった。お陰で3か所に顔を出すこととなり砂糖とメイプルシロップ、クリームのゲップが出るほど付き合わされた。
 この機会を逃すことはあるまいと趣向を凝らして授業をした。東京の講習会で覚えたPaper Trick(画面が変わるトリック)を教えてみた。生徒達ばかりか教職員まで夢中になり大成功であった。大型の寄書きカード作りも試みた。持参した特製和紙に思い思いのメッセージ、デッサン、サインを書いてもらった。日本へ持ち帰り友人に披露すると言ったら Principalを始め多くの教職員、生徒多数の協力を得て立派なカード3枚が出来上がった。各種のイベント等に参加の折 如何にして友人を作り親交を深めるか 私の経験に基づき手法の一端を披露したのだが思い掛けない効果でたくさんのプレゼントをもらう事につながった。

カナダの冬空に流れる唱歌「赤とんぼ」
 友人宅でディナーを戴いた夜 8時を過ぎていたが徒歩で帰宅した。雪を踏締めながら歩いて行くと、わが家の手前100メートル程の辺りから女性コーラスが聞こえてきた。微動もしない静かな闇の中から伝わってきた。聞き覚えのある歌だ。実に綺麗な日本語だ。"夕焼け小焼けの赤トンボ、おわれて見たのは何時の日か"、胸が震える程感動した。2番を歌い出したのでゆっくり暗闇に近付いた。近所の女学生が庭先で5−6人が合唱していた。私も引き込まれるように合唱に加わった。彼女達はChoir(クワイアー)の巡回訪問で、全員当校NVSSの生徒達だった。

下宿先の家族…子供達のわめき声でヒアリングの練習
 去る9月25日到着以来、Caron先生の家で生活をしている。組織IIP(International Internship Programs)のアレンジによる賄い付き下宿で1日10ドル(c$)である。質素とはいえ安いことは確かだ。当主は私が通う学校のフランス語とスペイン語の教師でGeraldという。40歳になったばかりで妻Nathalieとの間に3男1女がある。二人ともケベック出身で家庭内はフランス語、私と話す時だけ英語になる。
 3か月良くぞがまん出来たと思う。子供達の喧騒がすごいのだ。6歳の末娘が負けず嫌いで、凄まじい声で喚き泣き自己主張をまくし立てる。そして時に遊んでくれぬと大声で訴える。パソコンゲームの音が46時中響き渡る。Nathalieは包容力のある優しいレディで、子供達の喧嘩に巻き込まれないためかピアノを弾き始め、美しい声でシャンソンを唄ったりする。
 当初は1か月も無理だと思った。約束の3か月が来て他の家庭に移るかホテルに替わるか迷ったが引続きお世話になることにした。厳しい気候の中、何が起こるか分からぬ不安から現状維持が無難との判断である。体調の悪い時誰が面倒を見てくれるのか、車を誰が運転してくれるのか、医者との連絡はどのようにするのか、不安が脳裏をかすめた。インターネット接続の問題もある。パソコントラブルで苦労したので現状を変えたくない事情もある。
 総じて下宿生活の選択は正解だったと思う。当面車は不要で先生の車に便乗し、時にはドライブにも連れていってもらっている。手紙一本にも大きな違いがある。ポストオフィス内に各戸の私書箱があり受取りに行かねばならない。常に相談相手が身近にいる心強さもある。身元が同じ学校の教師ということで、親しい友人が学内外に出来た。子供の騒々しさもヒアリングの訓練と思うようにした。

月2回、日本料理を担当…好評な天ぷら、みそ汁
 昼は学校の食堂で食べられる。Guestということで無料である。普通に暮らせば日本よりも安いかもしれぬ。マーケットでは魚は駄目であるが、野菜果物は豊富で安い。カルフォルニアやメキシコから常時供給を受けるからだ。豆腐も3種類あり卵豆腐もある。米も種類があり生ラーメンまである。すべてマスセールスが基本だが、コストはざっと見て日本の半分以下であろう。
 この頃は毎朝みそ汁を自分で作る。奥さんのNathalieも飲むので二人分を作る。毎月2回夕食を担当し日本食を作っている。これまで巻寿司、天ぷら、カレーライスを作ったが、天ぷらが気に入られたようだ。夜食には時折ラーメンを食べる。1食1ドルで空腹時には有難い食べ物だ。
 最大の変化は何と言ってもアルコールであろう。まったく飲まないばかりか調理用のワインも置いていない。お陰で3か月間殆どアルコールなしの生活となった。43年間続いた生活習慣の破壊が身体に異常を惹き起こさぬか、と多少気にもなるが、目下順調である。

Home Page"松井のカナダ便り" http://home.att.ne.jp/red/matsui/