第49期 200511月号 |
茅ヶ崎方式英語会 本 校 会 報 |
第49期 2005年11月号
|
TUTORという仕事を通して学んだこと
|
元・C3 会員 カミスキー(旧姓矢内) 圭子 |
アメリカの大学や短大には、生徒たちの勉強を手助けするTUTORと呼ばれるスタッフが
多数います。彼らの多くは、教師を目指している大学生や院生、またはパートタイムの
講師達です。自分の大学や院での専攻分野、過去に教師として教えていた科目を担当し
ます。TUTOR制度は地域によって多少の違いがあります。私が働いているNY市立のラガー
ディア・コミュニティーカレッジには、簿記、数学、生物、英語等のTUTORがいます。
TUTORは、それぞれのDepartmentが運営する"ラボ"と呼ばれる場所で生徒たちに教えます。
私は短大卒業と同時に、English Department とESL Departmentのラボで働き始め、大学
を卒業し大学院に言語学専攻で入学した現在まで、約3年間働いています。TUTORの形態
は、デパートメントによっても多少異なります。私が所属しているラボでは、TUTORは、
生徒の書く力を伸ばす手助けをします。English Departmentのラボは、特に"ライティン
グセンター"と呼ばれています。一時間のセッションが1日に約8回あり、それぞれのセッ
ションに約8〜15人のTUTORが配置され、一人のTUTORが通常1〜2人の生徒さんの面倒を
見ます。TUTORに会うためのアポイントメントは必要ありませんが、学期末に近くなると、
TUTORが一度に3人の生徒さんを担当する事も珍しくありません。一方ESL Departmentのラ
ボでは、アポイントメントを取らなくてはいけませんが、1対1で40分間指導を受ける
ことが出来ます。また、英語とESLのそれぞれの科目は週に4時間の授業があり、TUTORはそ
のうちの1時間を担当教授に代わって授業を受け持ちます。この時間は、教授が教えたグラ
マーの復習やテスト対策の授業にあてられます。
私がTUTORになったのは、英語力を伸ばす方法を教授にたずねたところ、「他人に教 えるのが一番の近道だからTUTOR育成のためのクラスを取るよう」にと勧められたのがきっ かけでした。当時、留学してからまだ2年足らずでしたが、私自身ライティングセンターと ESLのラボにはよく通っていたため、TUTOR達がどんな仕事をしているか分かっているつもり でした。「彼らはライティングが得意で、間違いを見つけて直すだけだから、簡単な仕事だ な」というのが正直な感想で、TUTORが私の質問に答えられなかったり、教授の言っている 事と違ったりすると、たいそう腹を立て、食って掛かった事も2度程ありました。また少し 訛りのあるTUTORや教授に対してまで、「この人ちゃんと分かってるの?」という不信感を 丸出しにしていた様に思います。今思えば本当に恥ずかしいのですが、正直、自分もライテ ィングは得意だから、その程度の仕事は出来るだろう、と安易に考えていました。 TUTOR育成のクラスでAを取った私はライティングセンターとESLでインターン(見習 いとして働く事で単位を取得するシステム)をする決心をしました。私のエッセイの構成力 とネイティブに不足がちな英文法の知識を高く買ってくれている教授が、ライティングセン ターとESLの両ディレクター達と仲が良かった事もあり、驚く程すんなりとインターンをや らせてもらえました。ライティングセンターで数週間、雑用をしながら他のTUTORの仕事を 見学した後、TUTORと生徒の割合が1対1や1対2のセッションを週に約15回、ESLの方で は、1対1のセッションを週に10回程とクラスを数コマ担当させてもらいました。ボラン ティアではなく、時給10ドル(約1,100円)が支給されます。TUTORは、ライティングセン ターとESL合わせて60名弱います。このうちネイティブではないTUTORは私を含め4人です。 簡単なはずだったTUTORの仕事がどれだけ骨の折れる仕事か、気づくのにそう時間は かかりませんでした。1対1や1対2のセッションでも、またクラスでも下準備をする時間 がないので、いつもぶっつけ本番です。クラスでの課題は、報道番組のビデオを見てその内 容をどれだけ理解できたか確認するためのエクササイズに答えたり、ディスカッションをし たり、またはグラマーの問題を解いたり、エッセイの書き直しを手伝ったり、と様々です。 課題は教授からクラスの時間直前に渡されるため、事前にその課題の内容について下調べを する時間はほとんどありません。たいていの場合、手順を把握するのに精一杯で、分からな い単語を調べたり、生徒さんに聞かれそうな質問を想定し、その質問にどう答えればよいの か考えたりする時間が取れません。ご存知の方も多いと思いますが、アメリカの授業はとて もオープンで、生徒からの質問はいつも歓迎されます。ですから、どんな質問が飛んでくる か、クラスの時間中、緊張感でいっぱいです。上司からも、「すべての質問に答えられる人 はいなのだから、分からない事はあるのは当然。ただ、推測作業は絶対にするな。分からな かったら分からないと言って後で調べるか、分かる人に聞きなさい」と言われます。それで も、いつも手に汗を握る思いです。 個人指導のセッションでは、生徒さんが書き上げたペーパーの手直しや、新しいエッ セイを書くにあたっての構成作りを手助けします。彼らのエッセイに数分で目を通し、グラ マー、構成、内容を総合的に評価し、その生徒さんがどんな手助けを最も必要としている か、その手助けのためにはどの様な説明やエクササイズが最適か、1時間という限られた時 間でどこまでカバーできるか、的確に判断する事が求められます。教授のコメントがある時 にはそれに沿って進められますが、単に、"Go to The Writing Center and work with a tutor" とだけ指示さされる事も珍しくありません。最初は、すべての生徒さんに対して私自 身が得意な文法から入っていましたが、文法が正しくてもパラグラフの内容が一貫していな かったり、命題がはっきり述べられていなかったりすると良い評価は得られません。また他 人の文体の癖を把握し、それを生かし、内容を変えず、文体も出来るだけオリジナルに近い 状態を保ちながら間違いを直していくという能力と、自分自身で文章を書くという能力が、 いかに異なったものかを思い知らされました。その上、教授はペーパーの添削はせず、間違 いを指摘するのにとどめます。その指摘を見て、なぜ間違っているかを判断し、説明したう えで直していくのもTUTORの仕事です。指摘部分がなぜ間違いなのか理由が分からなかった り、または理由は分かっても、そこをどう直すのがベストなのか分からなかったりする事が あります。ネイティブのTUTORでも、教授によるコメントの内容や間違いの指摘が理解出来な いケースはよくある事なのですが、私の場合はネイティブではない故の知識不足からくるも のも少なくありません。説明する際の語彙不足や間違った発音でセッションの効率が落ちる 事もあります。 TUTORを評価する立場からされる立場になり、教育者という仕事をまったく違った視 点から見ることが出来るようになりました。どんなに有能な教授やTUTORでもすべての質問 に答えられる人はいないと認識すること、知らない事ははっきりと知らないと言える強固な 意志と勇気をもつこと、尊敬の念は常に双方向であるべきこと等、大変多くの事に気づきま した。TUTORの1つのマイナスや間違いに気をとられ、その人から9つも学べることに目を 向けず、大変な仕事を熱心に丁寧にと心がけていた人を非難し、まるで自分の能力の方が上 であるかの様に思っていた自分が大変恥ずかしく思います。3年前に私が食ってかかったこ とがあるTUTORにもお願いして、仕事のようすを何度か見学させてもらっています。今にな って彼の指導の的確さ、明確さ、公平さ、熱心さがよく分かります。実際、そのTUTORは上 司から最も信頼されているスタッフの一人です。私が彼のレベルに達するには、大変な知識 と経験を要する事を今は痛感しています。 日々、後悔と反省の連続ですが、私を指名してくれる生徒さんも何人かいます。指名 の数を気にし過ぎたりこだわり過ぎたりする必要はまったくない、と上司からもよく言われ ます。ただ、面白いなと思うのは、指名の数が一年目よりも少ないという事です。知識は増 え教える技術も向上しているはずなのですが、それが指名の数とは比例していません。自分 なりに分析すると、少しその理由が見えてきます。以前TUTORに教えてもらう立場でライテ ィングセンターやESLラボに通っていた私には、この仕事を始めた当初、生徒さん達の気持 ちが手に取るように分かりました。心から学びの苦労を共感できたので、相手の立場に立っ た分かり易い説明をもっと心がけていたように思います。それから、何より、仕事を純粋に 楽しんでいましたし、少しでも役に立てた時の充実感は感動に近いものがありました。今で も、生徒さんのお手伝いをする事を通して学ばせて頂く事に対する感謝の気持ちは変りませ んが、この仕事の責任と重要性をしっかりと認識した事、それからいくつかの苦い体験をし た事で、この仕事が少し重荷に変りました。 仕事が重荷になると、自信を失います。生徒さんというのは、教師やTUTORの自信の なさを実に敏感に感じ取るものです。ほぼ毎日が失敗と反省の繰り返しなのですが、特に自 信を傷つけられた出来事がいくつかあります。私は文法が得意なので、ネイティブスピーカ ーの生徒さんを割り当てられる事が少なくありません。彼らの場合、スピーキングは勿論問 題ありませんが、エッセイの構成や文法に問題がある事が殆どです。大抵の生徒さんは、私 のアクセントに最初は戸惑いながらも、私から学ぼうとしてくれます。が、約1年前、ネイ ティブの生徒さんを担当した際、エッセイの導入部について説明を始めてから5分もたたな いうちに、突然帰り支度を始め「今、学期末で無駄にする時間ないから帰ります」と席を立 たれた事があります。もともと出来る生徒だったうえに、以前に彼女のセッションを受け持 ったのが、その後、教授に昇進した、ライティングセンターでもトップクラスのTUTORだっ たため、ギャップに驚いたのだと思います。私がTUTORの控え室に戻ったところ、彼女は他 のTUTORと話しをしていましたが、私を見ると一瞥して出て行きました。また、ある日本人 の生徒さんに、今の職をどうやって得たのか聞かれたので、TUTOR養成クラスで教わった教 授が推してくれた事、TOEFLのスコアが認められた事、短大と大学の両方で良い成績を修め ていた事、等を挙げましたが、「大学を卒業しただけで教える事が出来るのですか!?」 と、気持ちの良くない口調で言われた事もありました。また、たまに友人からペーパーの 添削を頼まれる事があります。その場合、数日かけて添削し、私が文法の最終チェックを する前に、手直ししたペーパーを相手に送り返し、内容の確認をするようお願いします。 が、添削に納得がいかなかったのか、大した仕事ではないと思ったのか、その後まったく 音さたがないというようなことも何度かありました。他人のペーパーの添削作業を通して 学べる事も多いので、時間がある時には積極的に受させてもらっていますが、返答がない と添削に何かいけない所があったのか、私の態度が敖慢に見えたのか、相手の自尊心を傷 付けてしまったのか、等々、考え込んでしまいます。この様な苦々しい体験は挙げればき りがないほどです。 落ち込んでいる私を見ると、上司はいつも、TUTORとして働いている誰もが様々な悩 みを乗り越えて成長していくのだ、と諭してくれます。実際、どんなに素晴らしいと賞賛さ れているTUTORにもクレームは来ます。ネイティブのTUTORには私とまた違った種類の非難が 浴びせられます。ベテランのネイティブスピーカーのTUTORを、ライティングセンター全体 に響き渡るほどの大声で怒鳴りつけている日本人留学生を見たこともあります。この仕事を 再び楽しめるようになるには、ひたすらに自分の実力を上げて自信をつける以外、方法がな いと重々承知しています。また間違いを指摘された時は、それが誰であっても有り難く受け 止めるようにしています。クレームも理由を言ってもらえれば直す事ができますし、その方 に謝ることも感謝することも出来ます。ただ、コミュニケーションの欠いたクレームや一方 的な判断には、正直かなり落ち込み、後の仕事に大きく影響します。批判的な生徒さんに恐 れをなしたりもします。相手が間違っていると分かっていても、批判をかわすために受け流 す事も覚えました。この仕事を始めた当初は、生徒さん自身が困るのだから、とクレームを 覚悟で渡り合っていたりもしましたが、今は、どこか戦々恐々とし、相手を見て保身してい る自分がいます。ただ、以前TUTORや教授に対してかなり批判的だった私は、私を判断し批 判する生徒さん達の気持ちが本当に良く分かります。 TUTORという仕事をする事で、クラス、セッション、そして上司による専門的なトレ ーニングを通し、非常にたくさんの英語に関する知識と、指導にあたる上での技術や心構え を学びました。これは私にとって、とても大きな収穫です。ですが、本当の意味での成長 は、自分がかつて持っていた無知からくる傲慢さを知ったことと、学ぶ者としての正しい姿 勢を会得した事だと思います。また他人の持つ知識に対する畏敬の念、それを教授してもら う事への感謝の気持ち、そして教える事の大変さなどをTUTORという仕事を通して理解で きたことで、指導していただく教授たちと以前よりもずっと良いコミュニケーションをはか れるようになりました。教授と良い関係を築いていくことは、学びの効率を向上させるうえ で、そして将来につながるコネクションを広げていくという意味でもとても重要です。実際 に、今の大学院に入れたのも、その学校の経営にも影響力のある教授からの推薦がものをい ったことは間違いありません。 今回はビザの関係で日本に帰って来ました。先日、グリーンカード(永住権)を取得 できたので、まもなくNYへ戻り、休んでいた仕事にも早々に復帰します。考えるだけで、緊 張しますし、逃げ出したい気分にもなります。それでもまだ、この仕事を続けているのには 幾つか理由があります。上司や同僚からのサポート、この仕事を通して得られる学び、そし て何より生徒さんからのお礼の言葉が私を励まし、邁進していく勇気を与えてくれます。先 学期、学校の廊下を歩いていると、生徒さんに呼び止められました。私を指名してくれてい た子でした。彼女はネイティブですが、方言を話すせいで、いわゆる"標準語"では"文法ミ ス"とみなされる言いまわしを少なからずします。また、書きたい事、伝えたい事をたくさ ん持っているにもかかわらず、それをエッセイという形でまとめるのが少し苦手な生徒さん でした。その子は、英語のクラスを残念ながら落第してしまい、せっかく教えてもらったの に申し訳ないと言いました。私が何か言おうとすると、彼女は、「期末テストでは"この学 校でどのように学んだか"という題でエッセイを書かされて、その中であなたの事を書いた のよ。どれだけ助けてもらったかという事を一生懸命書いたのだけど、もう一歩のところで 落ちてしまって。」と言ってくれました。何度もお礼を言う彼女の姿を思い浮かべながら、 私自身、彼女への山ほどの感謝の気持ちであふれてきます。次回は受かる自信がある!と言 いきっていた彼女をたくましくも思い、逆に励まされる思いでした。 これからもTUTORという仕事を通して、英語力を伸ばすだけでなく、生徒さん、同僚、 そしていつも理解してくれる上司から、人間としても多くを学び取っていけるよう、全身 全霊を傾けて頑張っていこうと思います。 |