第57期 2009年 10月号 |
茅ヶ崎方式英語会 本 校 会 報 |
第57期 2009年10月号
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" It's now or never"
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C3 永山健一郎 |
< 提言 > |
今、我々日本人は歴史転換の節目に立たされています。我々の後世の幸福を真に考えるなら、今こそ、その為の改革案を提言しなければなりません。タイトルはその臨場感を訴えたつもりです。「これを逃したら永遠にその機会はやってこない」と云うことです。
「今世紀の中葉までに英語を日本の公用語にすること」がその提言です。 「国民の全員がバイリンガルになることを目指す」と云う理念をやり遂げる為の具体的目標設定です。「日本語」と云う母語と世界の普遍語にならんとする「英語」を使いこなすようになるということです。そして、今世紀末までの長期展望では、勢いを増すであろう「中国語」を含む多国語国家を目指すところまでイメージしています。 そうすれば、開国から150年この国の成長の足かせになっていた「言語的孤立」から脱皮でき、「英語が出来なくてはならない」と云う万年強迫観念の虜から今世紀後半の子孫は解放されます。 グローバル時代に生き残る為のこうした国家的ビジョンが定まれば、「国益を守る」と同時に「国際社会への共同作業の参加」が国家の政策として健全に行われる筈です。 |
< 意義と歴史認識 > |
提言の目的は「グローバリゼーションの大海に漂流する『日本丸』の抜本的海難救助策」にあります。
20世紀の後期に芽生えた「情報革命」に触発された「グローバリゼーション」はたちまち地球を小さくし、形まで変貌させ続け、将来に亘って留まるところを知りません。これは印刷機の開発(15C中)や産業革命(19C)以来の人類の大革命であるだけに、世界をあらゆる面で変質させると認識すべきでしょう。 したがって、グローバリゼーションを考える時、冷戦の終焉と同時にアメリカ発で勃発したIT革命が主因であることを忘れることできません。 インターネット時代を迎えることが「英語の世紀到来」と直結することは理解し易いことです。この世に生命を宿した以上、永遠に成長するインターネットの母語は英語です。たとえ世界のすべての言葉に優れた翻訳家や翻訳機で翻訳されようとも求める精度は得られず、効率のロスを覚悟しなければなりません。 こうした地球単位の変貌の嵐の中でわが国はどう云う位置づけになって来たのでしょうか。 日本は明治維新をかわきりに、欧米の列強に「追いつけ追い越せ合戦」を開始、ある程度の成果をあげました。第二次世界大戦後も奇跡的に高度成長を味わってきました。但しバブルの崩壊で自信喪失の淵に落ち込むまでのことです。 「バブルの崩壊」は奇しくも「グローバリゼーション」の台頭と時期的に重なります。否、後者が前者の引き金になっていたかもしれません。世界のパラダイムシフトについていけない日本は維新以来内蔵していた憂国の体質を露出しました。「閉じこもり型で受身の体質」であること、「長期展望に基づく戦略の欠如(目先の対処療法の名人)」、「コミュニケーション、特に自己発信の軽視」・・・等が代表してくれるでしょう。 一方で、世界不況の元凶のアメリカ(人)はその「影」こそ濃いが、まるでそれと対照をなすように、国民の前向きな「明るさ」が人々の希望を表しているように感じたのは私だけでしょうか。彼らにはグローバリゼーションの大海を航海できる国家的目標、建国の信条、ナビゲーション、多民族特有のタフで雄弁で且つ前向きの国難打破の結束が感じられます。 わが国の憂国の歴史は既に日本の遠い将来を既に見事に予言していました。 戦後日本の最も親日派大使であったライシャワーは、日本での対外的接触で言語的障害に悩まされたと、著書『ザ・ジャパニーズ』に書いています。何百人という各界の日本人の中で、知的会話の出来た人は数人だったとのことです。 さらに身の毛のよだつのは満州事変の終結時のリットン調査団は「日本人代表の英語は最悪であるのに対して中国人の英語や仏語は明晰であった」と評価しています。 また、真珠湾攻撃直前の日本の野村大使とハル米国国務長官とのハル自らの手記の中にこんな記録があります。「野村の英語は劣悪であったので、個人的な語らいとみなした」と。こうして、日本人の英語ハンデキャップは国民の見えない所でも国益を損じていたことに気付かされ、多分これも氷山の一角と案じます。 「グローバリゼーションの環境下ではその劣勢は推して知るべし」であります。 世界規模の経営を求められる現代において、日本の優良企業といえども世界市場での生き残りをかけて海外のトップ企業とのM&Aを手がけるケースが増大してきました。しかし、成功は生易しいものではないということを私自身がビジネスを通じて痛いほど体験しています。 今から9年も前に私が出席したシドニーでの国際会議で既にこんな場面に遭遇しました。 なかでも、プログラムのひとつであるパネルディスカッションにおいて、「21世紀のアジア・パシフィックのフィナンシャル・センターは日本ではなく、香港か上海になるだろう」と云う結論に落ちついたことです。ショックで、今でも鮮明に覚えています。そこまでの結論を引き出す要因は幾つかありましたが、「日本の最大の問題はコミュニケーションおいて非効率であることだ」と云うセリフを忘れることができません。 以上の如く、150年の歴史を通じて、日本人は英語で必要な自己表現が出来ない、先方の意図するところを理解するのに困難があると云うことが切実に認識されます。21世紀になって、このわが国の「言語的孤立」は危機的な「ハンデキャップ」であり、言葉の問題に留まらない国益を左右する国家戦略的課題であることは自明になります。 怖いことは、この言語に絡む問題が政府をはじめ多くの日本人がここまで深刻に自覚していないと云うことです。 それでも歴史的には何人かの憂国論者が「日本の公用語」に国際的に流通している言葉にすべきだと提言しています。維新後は初の文部大臣の森有礼「英語公用論」が代表例です。 |
< 必然性 > |
今日「世界同時不況」が世界を覆いました。先進国はもとより新興国を含むどの国もお先真っ暗だと云うことでは、将来への「危機脱出でスタートラインに横並び」になっているといえます。 ここで、「わが国が先行モデルを失ったことは有史以来の初体験である」ことを強く認識いただきたいのです。 しかし、今や「日本は海路なき航海」への船出をしなければなりません。今こそ、「自立」なければ「孤立」することは自明です。自立の為にはグローバリゼーションを睨んだ国益を意識した「基本戦略」が眼目になることは言うまでもありません。このハード・パワーを活かす為には、「言語的孤立からの脱皮」と云う「ソウト・パワーの構築」を欠かすわけにはいきません。ところが、このことがひとつも議論されていません。まさに「政策の盲点」になっているのです。わが国を代表するビジネス界のリーダー、外交官やその他の官僚が何故おとなしくしているのか理解できません。 意志の伝達の成否は以下の方程式で決ると理解しています。 Substance (S:内容)+ Delivery(D:伝達)=Communication(C:意志伝達) 言語の孤立はDの課題ですが、それに隠れた形でSの貧弱さが内蔵されているケースが案外多いのではないでしょうか。従ってCを強化する為にDを改善すするのですが、これは自ずからSが豊かにすることになることを忘れてはいけません。これで「言葉の問題は戦略の問題だ」ということはお分かりでしょう。戦略はSに置き換えられます(Strategy)。 私は本日まで2年間、全国ネットワークを有する「茅ヶ崎方式英語会」の茅ヶ崎校に参加し、年齢を忘れて英語のブラッシュアップに勤めてきました。ここには優秀な講師の下に優秀でやる気一杯の生徒が集まり、日々「英語での格闘技」に情熱を注いでいます。彼らは日本の英語力をリードするバイリンガル志向者です。 しかし、わが国の英語教育の現状を鑑みると、せっかくのこの能力も情熱も焼け石に水に帰してしまうのではないか、と云う複雑な気持ちになってしまうのです。国家的戦略的目標の「牽引」がないからです。もしあれば、梃子の原理で新しい時代の構築に貢献することはまちがいありません。 繰り返しになりますが、この「致命的ハンデキャップ」を国民がほとんど認識していないのが最大の問題です。しかし、孫から孫に引き継がれる日本の命運を真剣に考えると、「置き去りにできない大問題だ」と痛感してなりません。 |
< 課題と解決策 > |
1.「英語を日本の公用語にする提言」は国民的コンセンサスが得られるか? |
国民は現在の生活改善に重点を置き、数世代先の利便にまでは関心が持てないのが常でしょう。だからこそ、この「世界的危機こそ天の声」と捉えて、気がついた人々がこの提言を叫ぶ義務があると思います。 日本人のこの数年の英語力はTOEFLのテスト結果を見ると、アジア29カ国中やっと最下位を逃れるありさまです。一位のシガポールは今や個人あたりGDPでは日本を上回っています。 このままで数十年経ちますと、国内で昨今散在する「過疎化した町・村落」のように、「わが国からの頭脳・資本流出」を止めることができなくなるでしょう。一方では、海外からの移民・資本投資は減少の一途を辿り、高齢・少子国家はいよいよ現実のものになります。改革の推進に何世代もかかるだけに、無策のままでこうした悲劇に遭遇してからでは後悔しても仕切れません。滅亡を避ける為に他国の属国になる可能性さえ否定できません。 何らかの形で「叡智を求める」方々がイニシアティブをとって、精度の高い「工程管理プロセスを添えた立法化」を先行させるこが肝要です。 以下の私案が検討をしていただく一助にでもなれば幸いです。 @ 英語イマージョン・スクールを大学・中高・小学校と体系的に設立する。すべてのカリキュラムを英語漬けにして教育する学校の意味です。 現在でもこの種の学校が点在していますが、今後は私立校であっても国が政策的に援助し、短期的に拡大し長期的に完成度を高める。 A 戦略的に英語教師を誘致・育成する。・海外との提携・留学など援助・免税 B「努力しないで自然に英語が身につく社会」を創る。 C 政府の諮問機関として「日本の競争力強化プロジェクト」(仮称)を設立し、その下部機構に「日本言語政策委員会」(仮称)を置き、政策を作成し進捗を監視するようにする。 以上の方法で30年以内に日本人の20パーセントの国民が英語と国語のバイリンガルになることによって、その後は加速度的に英語が普及され、英語公用語化の法制化の環境が醸成できると信じます。 |
2.日本語の育成の障害になるのではないか? |
この提言の反対者は必ず「日本語が滅びる」とか「日本人としてのアイデンティティが亡くなる」といわれます。
これは英語と日本語(日本の文化)とをゼロサムの原理で考えるところから発生します。異質の言語間は必ずしもゼロサムの原理がなりたたないと思います。むしろシナジー効果を生むことは、多言語国の多いEU各国やシンガポール、また、バイリンガルのカナダ、香港などで既に立証済みです。
日本語・日本史・日本論はそれこそ純粋の教育論の問題です。「英語」が「国語」のレベル低下の要因とみなすことは「議論の履き違え」だと思います。
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< スローガン > |
最後に私の信条を短いふたつの言葉を英文にして締めくくらせていただきます。 "Think globally, act locally" "It's now or never" 叡智を限りなく求める方々のご検討を心より念願し、ご挨拶に代えさせていただきます。 以上 参考資料 |